毒抜き河豚日記
フグの身を薄造りにして、皮は湯引きにしてイタダキマス。河豚毒には注意を怠りません。河豚の毒は学名テトロドトキシン(tetrodotoxin)といいます。
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ばかじゃねーの?映画監督の北野武さん芸術文化勲章受勲
ばかじゃねーの?映画監督の北野武さん芸術文化勲章受勲

《フランスのミッテラン文化相は9日、映画監督の北野武さん(63)に対し、同国の芸術文化勲章の最高位にあたる「コマンドゥール」を授与した。北野さんは、「パリが文化の中心地だということは子供心に知っていたが、まさかここで表彰を受けるとは、夢のよう。この賞に値するように、これからも一生懸命努力したい」と喜びを語った》

このニュースを誇らしく報道する日本のメディアのセンスは相当に低い。北野氏はフランスから文化勲章を授与されたのがそんなにうれしいのか、日本とフランスの歴史を知らないのか、知った上での喜びなのか、いずれにしてもばかばかしくもおめでたい話だ。

たとえば、日本の文部科学省が北朝鮮の映画監督に芸術文化勲章(そんな名前のものはないけど)を授与したとしよう。その映画監督は、『東京が文化の中心地だということは子供心に知っていたが、まさかここで表彰を受けるとは、夢のよう。この賞に値するように、これからも一生懸命努力したい』なんて言いますか。
そんなに泣くほど嬉しいのなら、北朝鮮の高名な映画ファンである金正一に文化勲章でも授与して、授与式に出席させて、感涙にむせばせるというのはどうか。
因みに、日本では、「そんなのいらねー」って言って、辞退した人もいるのだ。
◆河井寛次郎 - 陶芸家。1955年(昭和30年)。名利を求めない姿勢を貫いて辞退。河合は自身の作品にも銘を 入れないほどこの姿勢に徹底していた。人間国宝や芸術院会員への推薦も同様に辞退している。
◆熊谷守一 - 画家。1968年(昭和43年)。「これ以上人が来てくれては困る」と辞退。
◆大江健三郎 - 小説家。1994年(平成6年)ノーベル文学賞を受賞。慣例として文化勲章と文化功労者称号の 授与が決定されたが、「民主主義に勝る権威と価値観を認めない」と拒否。
◆杉村春子 - 女優。1995年(平成7年)。「自分には大きすぎる」「戦争中に亡くなった俳優を差し置いても らうことはできない」と辞退。


フランスは歴史的に常に日本を友好国として見做したことはなく、事あるたびに反日的であった。一見友好の姿勢を見せた場合でも、下心あっての事であることは明らかだ。

かつてフランスの植民地であった所はアフリカ、アジア、南太平洋と山ほどあるが、散々に搾取され、苛め抜かれた後に独立を果たしても今なお惨憺たる状況にある。当のフランスは知らん顔の半平を決め込んでいるではないか。
何が文化の中心なのだ。所詮はローマ帝国の蛮族(ガリア)のフランスのパリが文化の中心地であろうはずがない。他民族に対する侵略と支配を繰り返し、果ては裏切りと謀略の限りを尽くしてきたフランスは今なお日本バッシングを常としている。
捕鯨については、日本の食文化に対する嫌がらせを繰り返し、これでもかと言わんばかりにマグロの問題でも主役を演じている。それも陰湿なことに、モナコを使ってやっている。
食文化について言うならば、フランスのフォアグラは動物虐待の典型である。無理やりアヒルの口から餌を突っ込み、肝臓肥大をさせてから殺してフォアグラを取り出す行為はまさに蛮族の典型である。にも拘らずクジラが可哀そうだとかよくぞ言えたものだ。
日本関係の歴史を詳細に見ればフランスの下心が見えてくる。wikkipediaから抜粋してみよう。
■1636年 - フランス・ドミニコ会の宣教師ギヨーム・クルテが日本に上陸する。クルテは江戸幕府が発した1613年の禁教令に反し、秘密裏に布教活動を行っていた。その後拘束、拷問を受け、1637年9月29日に薩摩藩の鹿児島で死亡した。(キリスト教を使って植民地化を図るのはフランスもスペインもポルトガルも同じであった)
■1787年 - ラ・ペルーズが日本の海域を航海する。ラ・ペルーズは琉球に訪れ、また北海道とサハリンの間にある海峡にその名がつけられた(宗谷海峡のこと。国際的な正式名称はラ・ペルーズ海峡である)。
■1844年 - 4月28日、アルクメネ号に搭乗したフォルニール=ドゥプラン大佐率いるフランス海軍の探検隊が沖縄(琉球王国)に到達する。交易は拒否されたが、フォルカード神父と通訳1人が沖縄に残る。
■1846年 - 海軍少将セシールが長崎に到達するが、上陸を拒否される。
■1855年 - アメリカ海軍のマシュー・ペリーによる日本開国を受けて、10月15日、日仏和親条約を締結。11月24日、フランスは沖縄との間で条約を締結。
■1858年 - 江戸においてフランスと日本(徳川幕府)との間での最初の条約となる日仏修好通商条約が調印され、両国間の外交関係が開設される(不平等条約)。
■1864年 - 在日フランス公使としてレオン・ロッシュが来日する。下関戦争が起こる。
■1865年 - 柴田剛中が横須賀海軍工廠建設の準備のためフランスを訪問し、フランス軍代表団を日本に送る。倒幕を目指す薩摩藩などとの関係を強化するイギリス(ハリー・パークス公使)に対抗し、フランスの徳川幕府支援が徐々に強まる。大浦天主堂で日本人の隠れキリシタンが約250年ぶりに発見。
■1868年 - 1月11日、神戸事件が発生する。明石において岡山藩士450人とフランス海軍兵との間で戦闘となり、神戸市中心部を外国軍部隊が占拠する事態となる。デュプレックス号の乗組員であるフランス水兵11人が殺害される堺事件が起こる。新政府は、外交顧問だったモンブラン伯爵を、幕府が任命していたフリューリ・エラールに代えて、パリ駐在の日本総領事に任命する。戊辰戦争の進展に伴い、フランス本国(フランス第二帝政政府)が佐幕派支援政策を見直し、ロッシュが罷免されて帰国。
■1869年 - ジュール・ブリュネら、元徳川幕府のフランス人軍事顧問団が元幕臣榎本武揚について蝦夷共和国の設立を支援し(フランス式軍制を採用)、箱館戦争で明治政府軍と戦って敗北する。
■1895年 - 三国干渉。フランスはロシア・ドイツと共に日本の遼東半島領有を阻止。
■1933年 - 満州事変に関するリットン調査団にフランスは委員を派遣し、その報告書採択でフランスはイギリス・ドイツなどと共に賛成。唯一反対した日本は国際連盟脱退を通告。
■1941年 - 7月28日、日本軍、仏領インドシナ南部への進駐を開始。アメリカ・イギリスの強い反発を招く。12月8日、太平洋戦争(大東亜戦争)開始。シャルル・ド・ゴールを中心とした自由フランス国民委員会が対日宣戦布告をしたが、実際の戦闘は発生せず、ヴィシー政権支配下のインドシナ植民地に日本軍が引き続き駐留。
■1944年 - 連合国軍のフランス上陸作戦によりヴィシー政権が崩壊。ド・ゴール首班のフランス共和国臨時政府は仏領インドシナへの日本軍進駐を認めた協定を無効と宣言。
■1945年 - 3月11日、現地の日本軍がベトナム帝国を樹立してベトナムをフランスから分離。同年8月14日、日本がポツダム宣言受諾を決定し通告。日本軍の武装解除が進む中、ベトナム八月革命が開始され、後の第一次インドシナ戦争へつながる。9月2日、日本のポツダム宣言受諾による降伏文書調印にフランス臨時政府代表が参加。同年12月、フランスは占領下の日本を管理する極東委員会に参加した。
■1963年 - 日本、部分的核実験停止条約を批准。フランスは調印を拒否し、核兵器開発を継続。
■1980年代前半 - 日本による対仏輸出が拡大。フランスのフランソワ・ミッテラン政権は対抗措置として日本からのビデオデッキ通関業務をポワチエの税関に限定して行い、事実上の輸入制限を実施。トゥール・ポワティエ間の戦いの再現とも言われ、日本政府はGATTに提訴。経済摩擦が異文化の衝突にまで拡大した象徴例となる。
■1991年 - エディット・クレッソン、フランス首相に就任(-1992年)。前任の欧州問題相時代から通商問題を軸にした対日強硬派で知られ、「日本人は黄色いアリ」「ウサギ小屋のような小さいアパートに住んでいる」など人種差別とも取れる発言を続けて在仏日本大使館から抗議を受ける。
■1995年 - 6月、フランスが南太平洋のムルロア環礁で核実験を実施。日本国内では武村正義大蔵大臣がタヒチでの抗議デモに参加し、フランス製品ボイコットや文化交流の縮小などの対仏批判が広がるが、長期化せずに沈静。

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